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旅行や趣味について

2024トルコ・ギリシャ旅行 前編

2024年1月、トルコとギリシャに行ってきたので記録。

 

トルコは中世のオスマン帝国ギリシャは神話の発祥地である古代ギリシャ文明として、世界史では馴染みの深い地域である。大学受験で世界史を選択した人間としてはたいへん興味深く、そしてギリシャ世界遺産メテオラにも行ってみたい気持ちがあったので、この2つを回ることにした。

 

ANAで貯まっている60,000マイル+空港使用料等で以下往復を予約。

往路:羽田→シンガポールイスタンブールシンガポール航空

復路:アテネ→フランクフルト(ルフトハンザ航空)→羽田(ANA

マイルの特典航空券って人気の高い直行便は選べないし、乗り継ぎの分で空港使用料増えるし、半年くらい先じゃないと予約できないし、いつのまにか有効期限が迫ってきたりするので、なかなか不便だ。(今さら)

イスタンブールアテネ間の移動は別途ギリシャの「エーゲ航空」の便をTrip.comで予約し、宿はbooking.comで観光地からのアクセスが良くて口コミが良いホテルを適当に予約した。

 

ちょうど一週間の旅程になった。去年の夏頃から宣言していたし、この期間に仕事の予定が入らないよう調整していた甲斐もあって、無事に長期休暇をとることができた。

1日目:夕方出国

2日目:朝にイスタンブール到着、市内観光

3日目:午後にアテネへ移動

4日目:アテネ市内観光

5日目:メテオラを日帰り観光

6日目:午後にアテネを出発

7日目:夕方帰国

* * *

羽田空港T3で円→ユーロに両替して出国。今回の旅行会社で最高のエアラインだと感じたのがこのシンガポール航空だった。トイレには使い捨て歯ブラシが置かれ、機内エンタメでは是枝裕和の『怪物』が視聴できた(邦画なのにANAにはまだ無い)そして機内食豚丼がマジで旨かった。

SGは格付けランキングでANAを上回っているだけのことはあって別格。※格付け会社の航空会社ランキング2023、総合1位はシンガポール航空、ANAは3位、JALは5位にランクアップ|トラベルボイス(観光産業ニュース)

めっちゃ美味しい豚丼

※乗り継ぎのシンガポールチャンギ空港では東南アジア特有の「飛行機を降りた瞬間ムワッと感じる熱気」があり、東南アジアはやっぱり良いなァ・・・と改めて感じた。

 

翌朝イスタンブール到着。飛行機が着陸したとき、まだ朝8時頃だったが外は真っ暗で、トルコの夜明けは日本と比べてかなり遅いようだった。

徐々に明るくなってきた

 

入国後に空港で円→リラに両替し、空港と市内を結ぶバス「Havaist(ハワイスト)」に乗車。約1時間くらいで市内(地下鉄アクサライ駅近くの広場)に到着した。乗車中、やたらデカい国旗がはためいているのが印象的だった。そしていかにもイスラム教の国という感じでモスクもちらほら見えた。尖った塔が何本も空に突き出していてかっこいい。

地下鉄駅の改札前でイスタンブールカード(Suicaみたいなやつ)を購入&チャージし、トラムで旧市街の中心地「スルタンアフメット地区」へGO。

イスタンブールカードの自販機の案内言語は日本語に切り替えることができた。滞在中、トルコが親日国らしいことをほぼ唯一実感できた瞬間である

アヤソフィア

イスタンブールを代表する観光地アヤソフィアブルーモスクは広場を挟んで向かい合っていて、宿泊した「アゴラゲストハウス」もこの近くにあった。

 

このあたりが外国人観光客が多く集まる地域になっているのだが、この広場を通るたびにトルコ人のおじさんが「コニチワ~」「ニッポン↑ジン↓デスカ?」と話しかけてくる。

これはトルコで多発している日本人をターゲットにした詐欺で、応じてしまうと「美味しいトルコ料理の店に連れてってやる、日本語を教えてくれ」とか言われてぼったくりバー的なお店に連れていかれたりするらしい。とんだ親日国である

イスタンブールは猫の都」とか言われている噂の通り、猫どもはそこら中に無限にいた。日本のと違って人から逃げようとせず、猫撫で声(本来の意味)を出しながら近づいてくる。レストランの店先で堂々と残飯をむさぼっているのもいて、さすがに甘やかしすぎな気もした。

 

* * *

まずは荷物を宿に置き、イスタンブールをヨーロッパ側とアジア側に分けている(世界史でおなじみ)ボスポラス海峡に向かう。

船の待合所にも当然のように猫がいる

ボスポラス海峡のフェリーはイスタンブールカードで乗れる。たぶん20~30リラ前後だった気がする(現在1リラ=ほぼ5円なので、100円ちょいくらい)。ヨーロッパ側の「エミノミュ」からアジア側の「ユスキュダル」まで片道30分弱くらい。格安で船の旅を楽しむことができた。

港では屋台でパンやサンドイッチがたくさん売っていたので昼食として食べながら船に乗る。普通に美味しいけど硬い。船が出発してから到着するまでずっとカモメの大群が船に並走して飛んできて、パンを投げるとキャッチする。これが超楽しくて、ずっとカモメで遊んでいた。

カモメにパンをあげてたらあまりの楽しさにドーパミンが分泌されまくってしまったのか、ウエットティッシュを取ろうとしてなぜか力づくで引きちぎってしまった。キチガイ

ユスキュダルで買ったケバブサンド的なもの

トルコには「サバサンド」という文字通りサバを使ったサンドイッチ的なB級グルメがある。港にサバサンドのお店もあったが、店の近くまで行くと強烈に生臭い匂いがしたので断念した。

ちなみに使われているサバはトルコの特産品というわけではなく輸入らしい

港で買ったスイカ風味のアイスティー。さっぱりしていて美味しかった。
コカ・コーラ社のブランドらしい、日本でも発売してくれ

適当に歩いていたらエジプシャン・バザールに着いていた

* * *

午後はスルタンアフメット地区に戻ってモスクを観光した。

アヤソフィア

アヤソフィアはトルコを代表する観光地で、

・西暦537年に東ローマ皇帝キリスト教の大聖堂として建設

・1453年にオスマン帝国が東ローマを滅ぼした後、イスラム教のモスクに転用する(モスクっぽさを強めるため4本の尖塔を増築)

第一次世界大戦後にトルコ共和国建国、初代大統領アタテュルクによってモスクから博物館に転換(世俗化)

・2020年~国内のムスリムの支持を得たいエルドアン現大統領が博物館からモスクに戻す

という変遷をたどっている(Wikipediaの要約)。

2020年以降はモスクになったので一日に数回礼拝が行われるが、博物館ではなくなったために入場料が無料となった。

…と思いきや、なんと2024年になって急に外国人観光客からは25ユーロ(約4,000円)も入場料が巻き上げられることになった。タイミング的にあと一週間待ってくれたら無料で観光できたのに…だがまぁトルコは去年大地震があったので、復興のために使ってほしいと思う。

モスクに戻ったことで、ローマ時代のキリスト教の壁画は白い布で隠されている

イスタンブールには猫だけでなく、犬もたくさんいる。耳にタグがついていて予防接種的な管理はしっかりされているっぽいので、それなりにフレンドリーな雰囲気。インドの犬のような不潔さは無かった。(それでも近づいてみると、顔が日本の犬の3倍くらいの大きさがあってビビる)

 

・ブルーモスク

ブルーモスクは入場料無料。壁に描かれた精緻な紋様が美しく、圧倒された。各国言語のクルアーンを配っていたので、日本語版を貰って少し読んだ。

 

・地下宮殿

トルコ版の首都圏外郭放水路

全体がすべて地下にあるので地上の入り口がどこにあるのかわからず、出口を先に見つけたのでそこにいた警備員っぽいトルコ人に入り口の場所を訊いたら、運の悪いことにこの男も、件の「怪しい日本語で詐欺をかましてくるトルコ人」だった。

なので見終わった後に出口で待ち構えていたそいつに捕まってしまった。最初にこちらから話しかけてしまった手前断りづらく、お皿を打ってる店に連れていかれそうになったが、その場から走って逃げた。疲れた。

 

・夕飯

ケバブ。味はまあまあ。食事中に椅子の下からヌッと猫が出てきて隣に座ってきた。普通に屋外から出入りしている猫っぽいけど、衛生管理とか誰も気にしてなさそう。ケバブには手を出そうとせず、じーっと見ていた。

食後のチャイ(紅茶)は結構美味しかった。このグラスのおかげで美味しく感じるのかもしれない。

 

・コンセント

この変換プラグは世界中で使えるやつなのに、穴の周りにある枠?が邪魔で挿せなくてキレた。

 

・ビール

トルコはイスラム教の国だがそこまで厳しくないので酒が飲める、ということでビールを購入して宿で飲んだ。

味は・・・薄くて正直微妙だった。酒を飲んでもOKとはいえ、メーカー側のビールづくりに関する知識や技術は他の国と比べると乏しいんだろうな…と感じる味だった。

夜のブルーモスク

 

* * * * * *

トルコ2日目。

この日はあいにくの雨模様だった。夕方にはギリシャ行きの飛行機に乗るので、午前中にオスマン帝国のスルタンが住んでいたというトプカプ宮殿を観光した。

トプカプ宮殿の入場料は1,500リラ(=7,500円)。いくらなんでも高すぎる。

日本語のオーディオガイドを貸してくれたので、聞きながら散策した。見どころはほとんど屋内だったので、雨をそれほど気にせずにすんだ。

建物の内部ではたくさんの宝物が展示されている。それらに加えてスルタンの妻たちが住んでいたというハレム(後宮)がとても広く、見ごたえがあった。

広すぎて結構疲れた。

アリー(第4代カリフ)が身に着けていたターバンらしい

 

屋台で売っているパン「シミット」。10リラ(=50円)と安いがとにかく硬い

 

充実した1.5日くらいの観光を終え、再びバスでイスタンブール空港に戻り、次の目的地・アテネに向けて出発した。

 

空港にて。懐かしい

後編につづく




 

 

 

転職

10月から転職することが決まった。

新卒で入社してから約4年半勤めた今の勤務先は、9月末で退職する。

 

まず、今の勤務先の会社について。

業界最大手の企業として、自分が成長できる機会が多くありそうだと考えて入社を決めた。自分が楽しいと思えることを仕事にできる点をとても魅力に感じていたので、今までに辞めたいと思ったことはほとんどなかった。周囲から少しずつ戦力として頼りにされるようになってきたと実感しているし、希望していた部署への異動が実現するなど、自分がこの会社でそこそこ順調にキャリアを構築できているなと思っていた。

 

だが新型コロナウイルスの流行により、この業界は過去最悪の状況に陥ってしまった。特に「訪日外国人旅行者の消失」と「東京オリンピックの延期と無観客開催」、この2つの出来事はそれまで期待されていた巨大な需要と販売機会をまるごと消滅させ、関係者を大いに絶望させた。

 

コロナが流行り始めた頃に私は希望していた部署に配属となったものの、会社の業績は目も当てられないほど悪化し続けている。その上、感染防止や経費削減の観点から、業務を進めるにあたって様々な制約が課されるようになった。自分がずっとやりたいと思っていた仕事は、コロナ禍の状況においては、ひどく不自由でやりがいの無いものになってしまった。

 

それでも目の前の業務と向き合い必死に取り組んだが、いまだ終わりの見えないコロナ禍の影響を最も大きく受けてしまっているこの業界では、何をどう頑張っても焼け石に水で、全く成果が出せずに終わることがほとんどだった。

 

そんな2020年の後半頃から、入社から苦楽を共にしてきた同期達が次々と辞めていった。特に、中でも優秀で周囲から一目置かれていた同期達も辞めていったことは、私にとって大きな不安材料となった。危機的な状況の中、これから会社の再生に向けて中心的な役割を担っていくはずの優秀な若手人材が辞めてしまうという状況は、いかにこの会社や業界の将来が絶望的かということを物語っていると思う。

一方、会社としては最も辞めてほしい層と思われる、仕事ができない中年の社員達は、早期退職の対象者として面談が何回行われようと、決して転職は考えずに会社にしがみついていることはもちろん言うまでもない。

 

こうした状況から、お先真っ暗なこの業界でこれ以上働いても、残念ながら自分の人生にとってプラスになることはもう無いだろうと考え、転職を決意するに至った。

最初は30歳頃までに転職できればいいと漠然と考えたが、「業界を変える転職をするならとにかく若いうちがいい」と周りの方々から助言を頂いたので、5月に転職サイトに登録し、2021年度中の転職を目指して活動を開始した。

 

転職サイトを使い、「自分に合っていて長く働くことができそうな仕事内容だと感じる」&「現職よりも安定していて収入アップを実現できる」求人に応募をしていった。キャリアアドバイザーの方からは「書類選考の通過率は1割程度ですよ」と言われたが、本当にそれくらい最初の書類選考は難関だった。何十社もエントリーしたが、最終的に面接を行った企業は3社だ。(書類選考を通ったものの、面接がストレスで嫌になり辞退してしまった企業もある。自分が大学時代の就職活動でも全然うまくいかず、うつ状態になってしまったことを思い出した)

 

だが面接は数回行ううちに、場の雰囲気や話す内容にも慣れてきた。今思えば、就活の時は学生時代に熱心に打ち込んだことがあまり企業ウケが良くなかったために苦戦したのかもしれないが、転職の面接で聞かれる経歴については、職務経歴書を作成する中でしっかりと整理が出来ているし、自分が仕事に対してどのように考えて何を実行してきたのかをわかりやすく伝えたことで、面接官の反応も悪くなかった。

最初に面接を受けた某事業会社の面接は、お祈り連絡と合わせて不採用の理由をかなりボロクソに伝えてきたので結構落ち込んだが、反省点を改善し次に活かすことができたので有意義な経験だった。

 

そうして活動を続けたところ、応募した中でも志望度が高い、ある企業の選考が順調に進み、数回の面接後に内定を頂く事ができた。内定の連絡は自宅にいるときに電話でいただいたが、嬉しさのあまり狭い部屋の中をグルグル歩き回っていた。

転職活動を始めて約3か月、結構苦戦したような気がしたが、決まるときは驚くほどあっという間に決まってしまうものだった。

 

正式に内定通知を頂いた後、まずは直属の上司に退職の意思を伝えた。上司は突然の申し出にかなり驚いていたが、面談では特に引き留められることもなく、退職の手続きも非常にスムーズに、事務的に進んだ。

入社から4年半の間、自分の時間や感情や熱量の大半を捧げ、この会社の社員であるということが自分にとってのアイデンティティと化していたが、それを放棄するプロセスは拍子抜けするほどあっけないものだった。

 

以前転職した同期の一人からは、退職を告げたところ上司から様々な好条件(希望のポストを用意する等)を提示されてかなり強く引き留められたという話を聞かされていた。それに比べて全く引き留めをされなかった自分は、この会社にとってそれほど大した戦力ではなかったということなんだろう。まあ今となってはどうでもいいけども・・・。

 

こうして、9月末の退職と10月からの転職が決まった。

転職は進学や就活と異なり、自らが今まで努力して築き上げた今の地位を自らの意思で「捨てる」行動でもあるので、今は後ろ髪を引かれる思いというか、解放感に加えて喪失感も少しある。転職先でうまくやっていけるだろうか?という不安も大きい。この転職が私の人生にとって本当に成功であったのかどうかは、次の職場でしばらく働いてみるまではわからないと思う。

 

今はとりあえず、業務引き継ぎをしつつ遊んで羽を伸ばしている。先月は北海道で最北の地を目指してドライブしたり、退職した同期の新居に遊びに行ったり、高校の友達と近所の川で釣りをしたりして結構充実していた。せっかくなので写真を少し載せておく。

 

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北海道オロロンラインの海鮮丼(めっちゃ美味しかった)

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氷雪の門(稚内公園)

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宗谷岬

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最終出勤を終えた同期の家で頂いた焼肉

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ハゼ

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天ぷら

 

あと先日近所のスポーツジムに入会した。新しい職場で元気にスタートを切れるよう、転職までの間だけだが少しでも体を鍛えるつもりだ。

それと、この機会にと思いスマホも機種変更した。

PCもいい加減買い替えるべきだ。いまだに生協PCなので…

 

最期に、この記事を公開するにあたって万が一身バレしても致命傷にならないよう、例のフルフルの記事は削除した。ただし全部コピーして下書きとして保存してあるので、みんなが忘れたころに復刻版として再度公開したい。

 

2019年の旅行記録

国内は北海道、沖縄、和歌山、長野(登山×2回)、海外は香港とニュージーランドに行った。

 

北海道(1月)

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高校の友達と知床・網走に行った。2018年に発生した地震に対する国からの支援として「ふっこう割クーポン」が各宿泊予約サイトで解禁され、20,000円割引という破格の値段で知床のホテル「北こぶし」に宿泊した。知床の温泉街ウトロを代表する有名なホテルで、客室の設備やバイキングの食事、海に面した温泉など、どれをとっても素晴らしかった。バイキングは特に鮭とイクラを使った料理が豊富にあった。

上の写真は「フレペの滝」で、温泉街から山を少し登った所にある「知床自然センター」の近くにある。地図上では簡単な道なのに、積もった雪で道が見えなくて大変だった。滝もガチガチに凍っていた。動物はエゾシカオオワシがいた。

2月に行けば流氷が見れたかもしれない…でも再訪するとしたら今度は夏に行きたい。

知床半島の先端部分は原始の自然が保全されているため人間が通れる道は無く、危険なヒグマも多く生息しているため人間が簡単には立ち入ることが出来ないらしい。そんな場所が日本国内にまだ残っていることが凄いと思った。

 

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ゴールデンカムイで見たやつ

網走は知床より寒かった。網走監獄博物館はかなり見ごたえがあった。

北海道は見どころも美味しいものも多すぎる。

 

沖縄(2月)

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数年分の運を使い、会社の忘年会のくじ引きで航空券を当ててしまったので一人で沖縄に行くことになった。沖縄は大学生の時に名古研の同期と本島ドライブで満喫したので今回は「ダイビングのライセンス取得」の教習を申し込んで3日間ダイビングを楽しんだ。水中カメラで写真を撮った3日目(慶良間諸島)は雨が降ったが、海の中は驚くほど青かった。「泳げないのにダイビングって出来るの?」とよく聞かれたが、ダイビングは水中で普通に呼吸ができる上にフィン(足ヒレ)を付けてるのでカナヅチでも普通に問題ない。また、浮力を調整することで前後左右だけでなく「上下」に移動することが可能で、これは陸上の生活では味わえない感覚で楽しかった。

沖縄は太平洋戦争で「鉄の暴風」と言われるほどの激しい地上戦で徹底的に破壊されてしまった悲しい歴史があるが、この深度10~20メートル程の海底に存在する青い世界はその当時から変わらずずっと穏やかな世界だったのだろうか。「国破れて山河在り」という言葉があるが、大自然の世界は人間の争いや諍いとは無関係に遥か昔から存在し続けているという事を肌で感じた体験になった。

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容赦なく近づいてくるウミヘビくん

 

和歌山(7月)

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和歌山への旅行は去年の秋頃から計画していた。関東民からすると行きづらい和歌山だが、楽しそうなレジャー施設や素晴らしい温泉旅館があることを以前から気になっており、名古研同期と行くべく企画したところ、往復JALを使う2泊3日のややリッチな行程にも拘わらず教員以外の8名が来てくれた。

長い梅雨が明け、快晴に恵まれた一日目は羽田空港の時点で最高の旅が始まっていることを予感した。南紀白浜空港に着いて「アドベンチャーワールド」に直行し、サファリバスに乗ったり、赤ちゃんパンダに夢中になったり、カバの口に餌を投げ入れたり、鳥や犬と触れ合ったりして、動物たちを満喫した。この日泊まった「とれとれヴィレッジ」と「とれとれの湯」もとても良かった。

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二日目は会社の同期に教えてもらった「エネルギーランド」という意味のわからない遊園地に行った。この施設ではエネルギーについて学んだり、恐竜時代にタイムトラベルしたり、重力が歪んだ空間で遊んだりできる。初めに“ロボットと少女の心の交流を描いた短編3Dアニメーション”というベイマックス的な何かを鑑賞したが、オタクとの旅行ではしゃいでテンションがバカのように高まっていたせいか、最後にロボットが自分を犠牲にして少女の命を救う感動シーンで普通に泣いてしまった。

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白浜から勝浦までは別行動し、しょうPと那智の滝を見た。梅雨明け直後のせいか勢いが半端なかった。

 

二日目泊まったのはこの勝浦を代表する温泉旅館「ホテル浦島」で、海に突き出た半島一帯がそのまま敷地になっていていくつも客室棟がある巨大な旅館だ。海に面した洞窟の中に温泉を引いた「忘帰洞」「玄武洞」というスケールがデカい露天風呂がある。温泉の硫黄臭と潮の匂いが混ざる洞窟の中で、目の前に迫る海を見ながら入る温泉は、まさに大地と海のエネルギーを同時に体感するような貴重な体験だった。食事においても勝浦の特産品マグロの解体ショーがあったり、サザエのつぼ焼きや鰻の蒲焼などがバイキングのメニューに含まれていて、一切手が抜かれていない品揃えだった。風呂上がりのレトロなゲームも楽しかったし、宿飲みも盛り上がり、最初から最後まで最高に楽しい和歌山旅行だった。

 

長野(8~9月、登山) 

珍しく会社の人に誘ってもらったのでモンベルで靴やザックを買い、登山デビューをした。8月は北アルプス蝶ヶ岳、9月は八ヶ岳の硫黄岳で、ありがたいことにどちらも山小屋泊だった。

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蝶ヶ岳から

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硫黄岳山頂付近

厳しい自然の中に踏み入り、身体をひたすら動かして登っていくことを楽しみ、美味しいご飯をたくさん食べて山小屋でぐっすり眠るという体験は無機質な日常では決して得られないもので、大きな達成感が得られた。蝶ヶ岳は夜に満天の星空になり、天の川や流れ星が見え、言葉を失うほど綺麗な世界が夜空いっぱいに広がっていた。

楽しい旅行の最中に食べる物は大体何でもおいしく感じるが、登山中に食べた物は格別に美味しかった。特に、濃い目に味付けされている山小屋の料理は疲れた身体にとって非常にありがたく、普段は小食だがこの時はご飯を無限におかわりする勢いだった。そして下山後に寄った温泉も最高だった。

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馬肉すき焼き(八ヶ岳オーレン小屋)

 

 

香港(9月)

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民主化を求めるデモが毎日のように報道され、激動の最中にある香港にもタカノと行ってきた。羽田から香港エクスプレス便で出発したのが9/6(金)の深夜で、その2日前にデモの根源となった条例の完全撤回が決まったというニュースが流れたので、運が良かった。が、その後も暴動や発砲事件が連日のように発生しており、香港の方々にとって戦いは全く終わっていないようだ。

早朝に着いたので時間を持て余してしまったが、バスで尖沙咀まで移動し、『深夜特急』で沢木耕太郎が絶賛していたスターフェリーに乗ったり、香港島の街を散歩したりした。上の写真はスターフェリーから撮った香港島で、この一帯は「ヴィクトリア・ハーバー」と呼ばれ、夜には100万ドルの夜景を作り出す経済の中心地だが、美しい超高層ビルの陰には香港名物「ベランダが無く室外機が剥き出しの汚いマンション」が所狭しと並んでいたりする。

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下を歩くとたまに水滴が落ちてくる

香港の料理はチャーハンや焼きそば、おかゆなど、日本でもよく食べる物が多く、どれもめちゃウマだった。生け簀で泳いでいたシャコが気になって唐揚げを頼んでみたがこれはエビよりも固くて食べにくかった。

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2日目は高速船でマカオに行った。

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グランド・リスボ

多くのギャンブラーの血や涙を吸ってきたような、豪華絢爛な「グランド・リスボア」で『深夜特急』にもあった「大小」(タイスウとかシックボーと読む)の機械の前に座り、ゲームを始めた。3個のサイコロの目の出方を賭けるゲームで最小掛け金は40ドル(約560円)。タッチパネルを操作して3つの目の合計が4~10(小)か11~17(大)で当てると2倍になって返って来るが、ゾロ目だと親の総取りになる、という単純なルールだ。

色々と試行錯誤しながら遊んでみたが、思ったほど簡単ではなく、奥が深かった。300ドル負けるときは一瞬だが、それをコツコツ取り返そうとすると何十分もかかる。流れが来たと思って勝負に出て、外れ、またそれを取り返す・・・という連鎖に陥る。時間が経つのも忘れて夢中で機械の前にかじりつき、結果的に少し勝ち越したところで切り上げたが、多くの人がギャンブル中毒になる理由が少し理解できた。家の近所にこれがあったら通ってしまうかもしれない。ちなみに旅行から帰った後このギャンブルをやっているリアルな夢を見たとき、順調に勝ちまくった所で夢から覚めたのでしばらく呆然としてしまった。

 

香港旅行はとても楽しかったが、帰り道が大変な思い出になった。香港空港に到着後、搭乗口までの距離と移動時間を考えずのんびりしてたら危うく乗り遅れかけ、ダッシュで搭乗時刻ギリギリで無事に乗れたと思ったら、到着後に千葉県を襲った台風15号の影響で成田空港からの鉄道やバスが全て止まり、空港から出ることが出来なくなったため、他の一万何千人もの難民と一緒に空港の固い床に寝そべって一晩過ごす羽目になった。ちょうどこの旅行の前にトムハンクス主演の映画『ターミナル』を見たが、まさにあれと同じ状態だった。成田空港は地元の印西市から近いので好きだったが、今回の一件で完全に嫌いになった。

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空港の床で寝る2人と香港空港の売店で買ったクッキーモンスター

 

ニュージーランド(12月)

大学卒業の直前に契約したANAのクレジットカードのマイレージがいつの間にかかなり貯まっていて、どこに行こうかな~と調べていたところ、ANAと共同運航を行っているニュージーランド航空が減額マイルキャンペーンを行っている(=特典航空券と通常より30%少ないマイルで交換できる)との事だったので、ニュージーランドに行ってみることにした。「海外一人旅」「アジア以外」「南半球」など、自分にとって初めてのことばかりで不安だったが、英語が通じるし何より豊かな大自然を間近で感じることで日頃溜まったストレスを洗い流したいという思いがあった。

 

北島のオークランドと南島のクイーンズタウンを観光できるように航空券を予約した。マイル減額キャンペーンなのでもうかなりの座席がすでに埋まっているようで、往路でたくさん乗り継ぐ感じになってしまった。

羽田→(関空オークランド)→クイーンズタウン2泊→オークランド1泊→成田

このような3泊5日の行程になった。他社と比べて運賃が高いNZ航空の国際線・国内線を使うこの工程で、31,500マイル+空港使用税&燃油の10,100円というのはかなりお得だと思う。ANAでマイル貯めてて良かった。

飛行機の予約後は、クイーンズタウンオークランドで泊まる宿、南島にあるフィヨルド「ミルフォード・サウンド」の観光ツアーを予約し、今年の10月から導入されたNZのeTA(電子渡航認証)を申請するなど、準備を行った。

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ニュージーランド航空の機体。関空発の便はガラガラだった。機内食はかなり美味しかった(行きの機内食はワクワク感で何でもおいしく感じる)。

翌日の11時頃にオークランド空港に到着。

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乗り継いでクイーンズタウン空港に到着した。

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空港から市街地まではバスが出ていて簡単に移動でき、宿はバス停のかなり近くにあったのが良かった。海外旅行のホテル予約はとにかくロケーションの良さが重要だと実感した。

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カプセルホテルっぽい感じのゲストハウスだった。自分の下の階(?)はセクシーな格好の白人のお姉さんで、目が合うたびにニコッとしてくれたのでドキドキした。

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夕方になるとキッチンにスープとパンが用意され、夜食として自由に食べることが出来たが、スープは何のスパイスなのかマジでわからない謎の味がした。


クイーンズタウンはワカティプ湖という大きな氷河湖に面した人気の保養地で、女王にふさわしい町ということで付けられた名前らしい。NZはイギリス連邦の構成国で、女王とは大英帝国ヴィクトリア女王を指している。9月に行った香港にも「ヴィクトリア・ハーバー」があったので、たまたま訪れた二つの国が歴史の中で繫がる面白さと、世界中の地名に名を残している大英帝国の女王に思いを馳せてしまった。

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カモメやカモなどの水鳥がたくさんいて、珍しいアホウドリもいた。アホウドリは英語だと「アルバトロス」らしい。かっこいいので日本でもアルバトロスと呼んであげてほしい。

到着したこの日はクイーンズタウンの人気店らしい「ファーグバーガー」というハンバーガーを食べに行った。小さめの店内には所狭しと観光客があふれていて、15分ほど並んだ。

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これは本当に美味しかった。ずっしりくる重さ・大きさや肉のジューシーさも凄かったが、とにかくパン(バンズ?)がめちゃくちゃに美味しかった。マックのハンバーガーを手に持つと指がパンに食い込んで崩れてしまう事がよくあるが、このファーグバーガーのパンはしっかりしていて指の握力をバーガー全体に伝え、具材がはみ出てしまうことが無かった。ハンバーガーはパンに挟まれる具材がメインと考えがちだが、挟むのに使われるパンも重要なのは間違いないということを実感した。間違いなく今まで食べた中で断トツで一番美味しいハンバーガーだった。

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出発前「南半球は北半球と季節が逆転するから12月のNZは初夏」と考えていた。実際、昼に乗り継いだオークランドは少し暑かったが、ここクイーンズタウンはかなり寒かった。よく考えたら南にある=高緯度で南極に近い訳だから、南の方が寒いという点でも日本と逆転している。少し考えたら誰でもわかりそうな事だが現地で実感するまで全く気付かなかった。翌日参加するツアーのガイドさんが言っていたが、クイーンズタウンは南緯45度に位置し、北緯45度に直すと稚内と同じくらいの高緯度となる。つまり6月の稚内のような気候だった。単純に日本と逆だから夏と考えて薄着ばかり持ってきたのはかなり短絡的だった。

また、NZは日本より+3時間の時差があるが、夏時間でさらに+1時間進んでいた。そしてもともとそういう気候なのか、夜になっても日が全然沈まなかった。 上の写真は現地時間20:20に撮影しているが、21時を過ぎてもまだ青い空が見えた。

 

二日目は事前に予約していた、クイーンズタウンからバスで世界遺産フィヨルド「ミルフォード・サウンド」まで行きクルーズ船で観光する現地ツアーに参加した。「氷河が大地を何万年もかけて削った谷に海水が流れ込んだ地形」というフィヨルドはいつか見たいと長年思っていたので、今回の旅行のメインイベントだった。一年を通して雨が多い地域らしいので覚悟はしていたがこの日も雨が降ったり止んだりして不安定だった。

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出発時、虹が2つ架かった。

広いバスの車内は中国人5:欧米人3:日本人2くらいの割合だった。座席でイヤホンを繋ぎ、自分の母語のガイドさんの声を聞く感じだった。途中でNZ名物の羊の群れなどをたくさん見ながらバスに5時間揺られ、ミルフォードサウンドに到着した。

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大雨だったので降雨時しか現れない巨大な無数の滝を見ることが出来た。山と海が美しく融合している景観は本当に圧倒的だった。また凄まじい風と雨で、まるで世界の最果てを冒険しているような気分になった。船はかなり揺れたが、ずっと興奮したせいか船酔いはしなかった。

クルーズのハイライトは落差155mの「スターリングの滝」への接近で、登山用に買ったゴアテックスのレインウェアを着て船外に出たが、滝に近づいた時は目の前が水しぶきで真っ白になり、手すりに掴まらないと吹き飛ばされそうなほどの衝撃だった。

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バスでの帰り道は急に晴れ、羊の群れが往路よりきれいに見えた。

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大満足のミルフォードサウンド観光を終え、翌日はオークランドに移動した。

 

オークランドも空港と市内を結ぶ「スカイバス」のチケットを買って市街地まで移動するのは簡単だったが、市内循環バスのバス停がたくさんあったのがわかりづらかった。そして火山が多い地域だからか、坂道が非常に多い街だった。

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このスカイタワーから突然人が落下するのが見え、一瞬飛び降り自殺かと思ってビビったがバンジージャンプだった。都会の建築物でバンジーをやっている人を初めて見たが紛らわしすぎる。

ラグビーオールブラックスの公式ショップでパーカーやタオルなどのお土産を購入した後、まだこの旅行中口にしていないNZ名物ラム肉を食べに行った。

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肋骨についた肉を一本ずつ切り分けたラムチョップではなく、数本の肋骨を残して大きな肉塊ごと焼いたラムラックという調理方法のステーキで、口の中で溶けてるんじゃないかってくらい柔らかくて美味しかった。羊肉の臭みはほとんど感じなかった。

 

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ここにも鳥がたくさんいた。

この日泊まった宿は予約サイトAgodaでおすすめに表示された格安ホテルだが部屋にエアコンが無かったりシャワー室まで異様に遠かったりしてなかなかのハズレだった。

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夜遊びしようかなと思ったが、オークランドのナイトスポットについて調べても情報があまり見つからず、一人でも安全かどうかわからなかったので大人しく寝た。

翌日オークランド空港に戻り、ほぼ満員の成田行きの飛行機に乗った。初めての海外一人旅で感動することの連続で感性が昂っていたせいか、機内エンターテイメントでライオンキングの実写やボスベイビーやアクアマンを見て何故か感動して何度も泣いた。

 

NZ旅行中、どこに行っても人通りが少なく、最大の都市のオークランドのメインストリートでさえも人があまりいなかったのが気になって検索したところ

オークランド:人口160万人(人口密度1500人/㎢)

NZ国全体:人口490万人(人口密度18人/㎢)

とのことで、都道府県の中で人口密度が最小の北海道でも人口524万人・人口密度66人/㎢なので、そもそも日本とはまったく比較にならないほど人が少ないことがわかった。なんとなく感じたのは、NZはとても時間がゆっくり流れている。日が沈むのが遅いのも理由の一つかもしれないが、目があった人はみんなニコニコしているし、朝から公園の芝生で昼寝を楽しむ人もいる。おそらく、存在する人間の数が少ないゆえに街や社会に「余裕がある」状態なのだと思う。余裕があるというのはすごく羨ましいと思った。日本は狭い国土に1億人以上の人間が暮らしていて、ただ歩いているだけで誰かにぶつかりそうになる。余裕など全く無く、みんないつも慌ただしく時間に追われている。もしかしたら今日日本で問題とされる様々な社会の闇は、全てこの人口過密状態が根源的な部分にあるのかもしれない。この話を帰国後にいろんな人にしてみたところ、じゃあNZに移住すれば?と言われたがマジで将来の夢がそれになってきた。

※NZは大昔に海の中に一度沈んだことで4足歩行の動物は絶滅し、再び海上に浮き上がってきたところに鳥類が飛来したことで、天敵となる哺乳類がいないためキーウィなど飛ぶことをやめた鳥類が繁栄した独自の生態系ができたらしい。10世紀頃にポリネシアからマオリがやって来て移住を始めるまではずっと鳥の楽園だったので、そもそも人が住み始めてからの歴史が浅いため人口が少ないということのようだ。

 

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今年は山に登ったり海に潜ったりフィヨルドを見たり、自然が多く動物がたくさんいるところに行けてとても良かった。会社員生活3年目、そろそろ人間社会に疲れてしまったので、来年も大自然からパワーを貰えるような旅行がしたい。